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ヴァルター・ツィンマーマン (親衛隊隊員) : ミニ英和和英辞書
ヴァルター・ツィンマーマン (親衛隊隊員)[いん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
親衛 : [しんえい]
 【名詞】 1. monarch's guards 
親衛隊 : [しんえいたい]
 (n) bodyguards
: [たい]
 【名詞】 1. party 2. company 3. body (of troops) 4. corps
隊員 : [たいいん]
 【名詞】 1. group members 
: [いん]
  1. (n,n-suf) member 

ヴァルター・ツィンマーマン (親衛隊隊員) : ウィキペディア日本語版
ヴァルター・ツィンマーマン (親衛隊隊員)[いん]

ヴァルター・ツィンマーマンWalter Zimmermann, 1897年10月1日 - 1995年3月25日)は、ドイツの軍人。第一次世界大戦期には、第二次世界大戦期には武装親衛隊に所属した。
第一次世界大戦期は主にドイツ帝国陸軍の戦闘工兵として各地の戦場で戦い、1917年10月付で二級鉄十字章を受章。大戦後の1932年8月に国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP:ナチス)へ入党し、1933年1月に親衛隊(SS)へ志願入隊した。
第二次世界大戦独ソ戦)の初期~中期はSS義勇師団「プリンツ・オイゲン」(SS-Freiwilligen-Gebirgs-Division „Prinz Eugen“)第7SS山岳工兵大隊の初代大隊長を務め、1943年6月付で一級鉄十字章を受章。その他、戦功によってクロアチア独立国の国家元首アンテ・パヴェリッチからクロアチアの勲章を授与され、後に第5SS山岳軍団の軍団工兵指揮官(工兵総責任者)を務めるなど、工兵の分野で活躍した。
独ソ戦後期の1944年秋、武装親衛隊のフランス人義勇兵旅団であるSS所属武装擲弾兵旅団「シャルルマーニュ」のドイツ人部署に着任し、訓練を担当。後に旅団から昇格した第33SS所属武装擲弾兵師団「シャルルマーニュ」(33. Waffen-Grenadier-Division der SS „Charlemagne“)の一員として1945年2月下旬~3月のポメラニア戦線でソビエト赤軍と交戦。ポメラニア戦線撤退後の1945年4月、「シャルルマーニュ」師団(連隊)最後の師団長となった。最終階級はSS大佐(SS-Standartenführer)〔Grégory Bouysse « Waffen-SS Français volume 1: officiers »(lulu, 2011)、"Annexe I: Officiers allemands et suisses de la division « Chalremagne » Walter ZIMMERMANN"〕。
他の日本語表記として、「ヴァルター・ジマーマン」がある〔クリス・ビショップ(著)、中村安子・鈴木晃(訳) 『SS:HITLER'S FOREIGN DIVISIONS: 武装親衛隊外国人義勇兵師団 1940-1945』(リイド社、2007年)p161〕。
== 帝政ドイツ時代の経歴 ==

=== 第一次世界大戦 ===
1897年10月1日、ヴァルター・ツィンマーマンはドイツ国帝政ドイツ)の構成国の1つであるザクセン王国マイセン・オーバーシュパー(Oberspaar)〔Marc C. Yerger « Waffen-SS Commanders: The Army, Corps and Divisional Leaders of a Legend: Krüger to Zimmermann »(Schiffer Publishing, 1999)p352〕 に生まれた。父親モーリッツ・ツィンマーマン(Moritz Zimmermann)はマイセンの郵便局長であった〔Robert Forbes « FOR EUROPE: The French Volunteers of the Waffen-SS »(Helion & Co., 2006)p172〕〔
«出典»
*Marc C. Yerger « Waffen-SS Commanders: The Army, Corps and Divisional Leaders of a Legend: Krüger to Zimmermann »(Schiffer Publishing, 1999)p352〕。
少年期のヴァルター・ツィンマーマンはドイツ帝国植民地学校で農業を学んでいたが、第一次世界大戦勃発後の1914年9月2日、16歳の時にドイツ帝国陸軍Deutsches Heer)へ入隊した。当初は第12猟兵補充大隊(Jäger-Ersatz-Bataillon 12)に配属されたが、1915年1月中旬に手術を受けたため、同年4月13日まで軍務に就くことはできなかった〔。
その後のツィンマーマンは第12工兵大隊(Pionier Bataillon 12)に配属され、1916年11月、陸軍一等兵(Gefreiter)に昇進した。翌年の1917年10月には二級鉄十字章を受章し、下士官軍曹)(Unteroffizier)に昇進。1918年3月には士官候補生となり、同年10月に第241工兵大隊(Pionier Bataillon 241)の予備役少尉(Leutnant der Reserve)に任官した〔。
第一次世界大戦の間、ツィンマーマンはドイツ帝国陸軍戦闘工兵兵器スペシャリスト、分隊長小隊長、兵器将校として活躍し、リトアニアポーランドフランスの戦場で戦った。大戦後の1920年には国境防衛の任務に就いた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヴァルター・ツィンマーマン (親衛隊隊員)」の詳細全文を読む




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